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優れた人材が職場いじめのターゲットになる3つの理由

優れた人材が職場いじめのターゲットになる3つの理由

仕事において高いパフォーマンスを発揮し、周囲から尊敬や高評価を集める優れた人材は、職場いじめのターゲットにされる条件を満たしています。

職場の人材管理が未熟で、構造的に職場いじめを抑止する施策が取られていない場合、人は様々な動機で優秀な人材を憎み、攻撃します。

今回は、優れた人材を攻撃する人間の動機について、代表的なものを3つご紹介します。

利害計算に基づく攻撃

会社組織では上位のポストが限られているため、従業員同士はポストを巡った競争関係にあります。

優れたパフォーマンスを発揮する同僚や、自分を飛び越えて上司に評価されている部下や後輩は、自分の出世の障害になります。

特に出世を望んでいない人物でも、優れた人材のパフォーマンスと自分のそれとが比較されたり、求められる仕事のレベルが上がることに危機感を覚える場合があります。

上記のような利害計算に基づいて、優れた人材に対する攻撃が行われることがあります。

これは戦略的に行われる攻撃であり、「脅威の排除」という明確な目標があります。直接の目標は優秀な人材の無能化であって、その人物の人格を破壊することではありません。したがって、この動機に基づいて実行される攻撃は、ターゲットがもはや脅威ではないと感じられるようになり、目標が達成された時点で終了します。

ただし、利害動機に基づいて攻撃を企図した人間が、後述する「嫉妬・恐怖」や「ルサンチマン」の動機に基づいて優秀な人材の破滅を願う人々を組織することは往々にしてあります。こうなると、攻撃の主催者の利害動機が達成され、もはや「優秀だった人材」に興味を失った後でも、その周辺の人物による執拗な攻撃が継続されることになります。

利害計算に基づく攻撃は、組織がフラットだと水平方向に展開され、組織が厳しいピラミッド型の場合は垂直方向に展開される傾向があります。

フラットな組織では一つ上のポストを巡る同僚間の競争が激しくなりがちであり、また、多数の部下を従える上司の権力はピラミッド型の組織に比べてフラットな組織の方が強くなりがちであり、圧倒的に強い上司を攻撃することは現実的ではありません。したがって、フラットな組織では同僚同士で攻撃し合います。

一方、縦に指揮系統の長い組織では、後輩や部下に追い抜かれることが致命的な損失になり、逆に上司を排除すれば自分が繰り上がれる可能性が大いにあります。したがって、ピラミッド型の組織では上下方向に攻撃が向けられやすくなります。

嫉妬・恐怖に基づく攻撃

優秀な人材のパフォーマンスや、彼に寄せられる高評価や敬意などに対する嫉妬から、その人物に対する攻撃が始まることがあります。また、仕事のパフォーマンスや高評価などを自尊感情の根拠にしている人間は、優秀な人材が存在することによって自分の存在理由が失われていくような恐怖を感じ、反動的に攻撃に出ることがあります。

嫉妬や恐怖が攻撃の動機になっている場合、加害者側が被害感情を持っているのが特徴です。自分が攻撃を開始したことは意識の外に追いやられているか、仮に理性的には自分が加害者だと分かっていたとしても、感情的には「あいつが先に仕掛けてきた」と感じています。

したがって、嫉妬や恐怖に基づく攻撃は「復讐」として遂行される傾向にあります。つまり、嫉妬や恐怖の原因となった要素(高パフォーマンスや高評価)を消滅させるだけでなく、自分が被った屈辱感や無力感を相手にも与えることを志向します。相手を苦しめることが攻撃の目標になるため、利害計算に基づく場合よりも攻撃は執拗になります。

また、嫉妬や恐怖を感じる期間が長期化すると、その嫉妬・恐怖の対象の輪郭があいまいになっていきます。最初は優秀な人材の高パフォーマンスに嫉妬していただけでも、次には彼のインテリぶった(と感じられる)言動やスーツの色でさえ苛立ちの対象になっていきます。究極的には優秀な人材の存在自体が、つまり「彼の全人格」が、自分を悩ませる原因であるように錯覚するに至ります。こうなると攻撃の目標は「相手の完全な排除・屈服」になるため、攻撃は無限にエスカレートしていくことになります。

ルサンチマンに基づく攻撃

ここで言う「ルサンチマン」はテクニカルタームです。

利害計算にしろ、嫉妬・恐怖にしろ、会社組織内では自分が感じる苛立ちをストレートに解消することは難しくなっています。いきなり殴りかかって黙らせるという訳にはいかないし、人間関係が固定化されているため、ムカつく相手と顔をあわせないようにするという訳にもいきません。

自分が感じる不満の感覚が強ければ強いほど、そして、それを解消する手段がなく、自分が自分の人生を決定することができないという「無能感」が強ければ強いほど、ルサンチマンに陥りやすくなります。

ルサンチマン陥った人間の特徴は、「価値の転倒」にあります。例えば「ルサンチマン」ではなくて「嫉妬」に陥った人間は、高い所にあって食べられないぶどうを「あのぶどうは酸っぱいんだ」と思い込むキツネのように、「あれは自分の欲しいものじゃない」と考えることによってストレスを緩和しようとします。一方で「ルサンチマン」に陥った人間は、より根本的な倒錯状態にあります。つまり、「ぶどうを食べることは悪いことだ」「ぶどうを食べないことが善いことなのだ」と考えるようになります。これが「価値の転倒」と呼ばれる現象です。

ここで理由を述べる余裕はありませんが、現代社会は人間をルサンチマンに陥らせる仕掛けが張り巡らされており、ルサンチマン人間は身近に居るものです。

さて、職場におけるルサンチマン人間にとって、優秀な人材は「悪い人間」「矯正が必要な人間」です。

ルサンチマン人間にとって、自分以外が個人的に高パフォーマンスを発揮することは「チームワークを乱す原因」や「上司への媚びへつらい」として映ります。そうした人間には、「本当のあるべき姿」に導くための「教育」や「しつけ」が必要であると感じられます。

また、「本当のあるべき姿」では無い人間が周囲の尊敬や高評価を集めること、あるいはただ単にそこに存在すること自体でさえ、ルサンチマン人間にとっては耐え難い苦痛となります。彼を放置しておけば、ルサンチマン人間が努力して「転倒」した価値観が崩壊してしまうからです。

ルサンチマンに基づく攻撃は、攻撃者自身がそれを「教育」や「しつけ」であると本気で考えている点に特徴があります。「本当のあるべき姿」になることができていない未熟な人間に対する「善意の施し」の一環として、優秀な人材に対して攻撃を加えます。

したがって、ルサンチマン人間は自分の行いを「善いこと」「必要なこと」だと考えています。それどころか、自分にはターゲットに対して危害を加えたり、人格を改造したりする権利があると感じています。時に、「教育」することは自分の義務であるとさえ感じているでしょう。

ルサンチマンに基づく攻撃は、ここで紹介した他の動機に基づく攻撃と比べ、最も執拗で危険なものになります。ある人間が、別の人間の理想に完全に一致することは不可能ですから、ルサンチマン人間によるターゲットへの「教育」はとどまることを知りません。自分が善意から「教育してやっている」にも関わらず、一向に理想の姿にならないターゲットに対して怒りを感じるようになり、徐々に攻撃は熾烈なものになっていきます。ターゲットにされた側も、「親切に教えてくれているのに、自分はその好意に応えることができない」と感じ、自分を責める場合があります。この状態を放置していれば、破滅的な結末を迎えることになるでしょう。

参考文献

内藤 朝雄(2001)「いじめの社会理論」柏書房
山岸 俊男(1998)「信頼の構造」東京大学出版会
マックス・シェーラー(飯島 宗享ほか訳)(1977)「シェーラー著作集4 価値の転倒(上)」白水社


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